永遠の価値を象徴する「ヴァンドーム広場」


ニナファーム誕生の地であるフランスの中でも多くの美しい歴史的建造物やモニュメントが立ち並ぶ“華の都パリ”。

その中で最も有名な広場のひとつとされるヴァンドーム広場は、チュイルリー公園、オペラ座やマドレーヌ寺院の間にあります。

この広場には、国際的に有名な宝飾店、高級ブランド店や名高い高級ホテルが軒を連ね、世界でも屈指の華やかさを誇る広場と言われています。

かつてはフランスを代表する作家達が住み、その美しく独創的な八角形のフォルムは、世界的なファッションデザイナーにもインスピレーションを与えたそうです。

広場の中心には、高さ約44メートル、直径約3.6メートルのブロンズのモニュメントがそびえ立ち、その一番上から、ローマ風の衣を身にまとったナポレオン皇帝の像が広場を見下ろしていますが、実は当初からあったものではないようです。

この美しい広場にある建造物の多くが、国の文化財に指定されています。

しかし、ヴァンドーム広場は、ただ歴史的な価値を持つだけではありません。国家権力の象徴でもあり、政治的に重要な意味を持っていました。

このモニュメントは、ルイ14世の王制時代からフランス革命、王政復古、ナポレオン皇帝の統治時代などを経て現在の共和制となるまで、時の権力者によって壊されたり、新しい形で建て直されたり、時代の流れとともにその姿を変え続けてきたのです。

ヴァンドーム広場は、17世紀に太陽王ルイ14世によって構想され、最初は「征服広場」と命名されました。

当初、広場の中心にはルイ14世の騎乗像があり、絶対王政の象徴となっていましたが、後にフランス革命が起こり、取り壊されてしまいます。

その後、ナポレオンが、1805年にアウステルリッツの戦いに勝利した記念として、ローマのトラヤヌス帝の凱旋記念柱をイメージした、ブロンズの記念柱を建てさせました。

円柱には、アウステルリッツの戦いの主要なエピソードを描いたブロンズの浅浮き彫りが、螺旋状に施されています。

言い伝えによると、アウステルリッツの戦いでロシアとオーストラリアの敵軍から奪い取った1200台の大砲を溶かして作られたと言われています。

この記念碑は、アウステルリッツの塔、勝利の塔、大陸軍の塔へと時代によって名称が変わっていきますが、現在はパリ市民から「コロンヌ・ヴァンドーム(ヴァンドームの円柱)」という通称で親しまれています。

永遠の価値を象徴するヴァンドーム広場。時代を越えて、私たちの心の中の価値観を写し出すシンボルとして、永遠に変わらない価値とヴィジョンを次の世代へと継承し続けてくれることでしょう。